オヤジの背中
僕の場合は、父親は父親であって親友でもある。
父はとても良い人で、僕とは真反対だといつも感じている。
父は神童だったらしい。
自分でもそう言っていたが、大学1年か2年ぐらいの時の夏休みに父に連れられ、一時住んでいた岡山(父は東京生まれ東京育ち)に連れて行きたいとふたり旅をした。
電車で岡山まで行き、自分の足跡を追う旅に連れられ行ったのだった。僕はオヤジが好きとかそういう感情とは違うけれど二人きりで一緒にいるのが好きだ。だからその旅も何の抵抗となく一緒に行ったのだ。
旅館に泊まって2人で食事し、一緒に寝る。そんな長い時間でも全く苦痛でないし、話すこともたくさんあるわけじゃないけれど、間延びしない時間を過ごす。ちなみに父は比較的寡黙で僕は饒舌なのだが。
その旅の一つの目的は郷学閑谷学校に行くことだった。そこに入れるのはどうやら本当に秀才中の秀才。父はそこに行っていたと言い張る。
その係りの人に自分が通っていたことを話すと、卒業名簿のようなものを見せてくれて卒業年を見たらホントに名前があった。
誇らしげに笑っていた気がする。
父の父、つまり僕の祖父は僕が物心つく前に亡くなられたが弁護士であった。祖父は秀才中の秀才中の秀才で東大に入れる頭があったので曽祖父の願いから早稲田法科に入り、もしかしたらいまだに塗り替えられてないかもしれないが大学1年時に司法試験に合格した。こちらも大学の文献が残っていて、恩師から天才と書かれた記事があった。
そんな超天才の子供達は皆秀才で、父親の言うことを守り皆、当時各県トップ全国から集まってくる高校だった早稲田高等学院に入った。その後は遊んでしまい大学もエスカレーターで法学部に進んだが弁護士にはならなかった。しかしやはり頭が良い男である。
大学時代は体育会柔道部に入り筋肉マンになった。僕の小さな時の写真ではボディービルダーのような体の父が写っていた。
そんな父も歳には勝てず老人となっている。
そして今の自分と父を比較してしまう。
僕は父に何か勝てたのか?
勉強・頭脳→完敗
スポーツ→ストイックさの部分で完敗
経済力→完敗
優しさ・思いやり→完敗
社交性→まあ勝ち
つまり総じて見ても完敗である。
しかしこれからは違う。
その父を超える努力をしなければならない。四の五の言わない。やるだけ。
恥ずかしくない男にならなきゃいけない。
圧倒的に。
父は会っていなくても僕を応援してくれるはずだ。僕の頭の中にも父の笑顔がある。沢山教えてくれたことがある。
自分を超えて行け。
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