何故あの人は凄いのか
本のタイトルのようですが、つい先日超多忙にも関わらず短期間で難しいテーマのプレゼンに企画者としての参加をお願いした人がいるのです。
面白いCMを作るとか、カッコいいデザインを作るというアウトプットの前に、その課題を解決するにはどのように展開して行くべきか、というお題です。
とても難しい。実に難しい。
その人は社内でもトップクラスにプレゼンの勝率が高いということでお仕事を依頼しましたが、実に寛容であり、驕らず、人の意見をきちんと聞いて消化しながら打ち合わせさせてくれた。なまじっか僕の方が当該企業の情報については良くも悪くも知っているので僕のげ知る情報と僕なりの考えを物凄い情報量インプットした訳ですが、理解力が素晴らしく僅かな時間で感動的なプレゼン資料をつくってくれました。
しかしプレゼンは資料だけでは決まりません。
それをどのようにプレゼンするか。
肉付けしながら話すのか、ペースはどうか、どこを強調するのか、顔色伺いながら言葉を選んだり、熱く語るのか、クールに語るのか。その他無限にやり方は存在するわけです。根本的にはプレゼンター及びそのチームと仕事をしたいかどうかという部分が重要だったりもします。
彼は一体どのようなプレゼンをするのか期待と不安が交錯しながら本番を迎えました。冒頭に暑苦しいぐらいの語りを僕がしてから本番は始まりました。
彼がプロジェクター投影しながらプレゼンを開始しました。ドラマであるような前に立ってプレゼンターが説明するような形式でなくクライアントまで距離60センチぐらいの距離です。こうなると余計な演出はしたくても出来ません。
テンポ良くプレゼンは進みます。
1番か客観的に見える位置に座っていた僕はクライアントのうなづき回数とモニターを食い入るように見る姿を目の当たりにします。
一度資料に目を通していた自分ですらも初見であるかのような錯覚に陥る程、資料内容に新たな魂が宿って生まれ変わります。内容は同じにも関わらずです。
この違いはなんなんだろうかと。
僕もそれなり以上にプレゼンには自信があったりしますが、全然違う世界観。
プレゼンが上手いとされる人達と仕事してきた中でも頭五個ぐらい突き抜けてる感覚。
きっと培ってきた経験と知識がしっかりと自分の中で消化出来ていて、聞いている方が『安心感』を感じるのだと思います。
そして、ある種先生のように『頼りたい人』なんだと思います。
話しが上手く説明も上手な人はその場の取り繕いでもある程度以上に出来てしまいますし、それでもプレゼンに勝つケースも多いかもしれませんが、良き『相談相手』にしたいとはなかなか思わないと思うのです。
自分の中きなコアがあるかないか。芯があるかないか。
これは一筋縄ではいかない大きな差だなあと痛感しました。
今の俺には一体何があるのか。
自分探しの旅はまた始まります。
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